江戸時代のリサイクル

徹底的(てっていてき)なリサイクル法


江戸時代の日本は原材料をとても大切にしていたので、資材(しざい)は徹底的にリサイクルしていました。

そのため、江戸や大坂のような大都市でも、清潔(せいけつ)で散乱(さんらん)ごみの見当たらない生活を送っていました。その理由としては、物をしゅう理して大切に使い、ごみにしなかったことがあげられます。

江戸時代には、しゅう理専門(せんもん)の業者や職人(しょくにん)・回収(かいしゅう)業者など多くの人々が資材のリサイクルに関係のある仕事をしていました。

江戸のごみすてのようす

図にある「ごみ取り」「紙くず拾い」「灰(はい)買い」などの回収業者は、不用品やすてるものを各家庭を回って集めました。


灰買い・ごみ取り・紙くずひろい

それでもだめならうめ立てる


どんなに資材を大切に使い、リサイクルをしていても、ごみになるものは必ずでてきます。

1655年に江戸幕府(ばくふ)は、ごみを永代島(えいたいじま)という場所にすてることとしました。町には、ごみ溜(だめ)という現在(げんざい)のごみ集積所(しゅうせきじょ)がありました。また、そのごみ溜のごみを集める大芥溜(おおあくただめ)という場所もありました。大芥溜にたまったごみが船にのせられ、永代島にすてられたのです。

【参考図書】「大江戸リサイクル事情」石川英輔(講談社文庫)